調査車両:クハ210-5027[静シス LL-9](2009/04/18)
**種別 |**行先
01 回 送 |01 回 送 |21 菊 川 |41 袋 井 |61豊 橋(御殿場線経由)
02 試運転 |02 試 運 転 |22 掛 川 |42 舞 阪 |62浜 松(御殿場線経由)
03 臨 時 |03 臨 時 |23 浜 松 |43 弁 天 島 |63島 田(御殿場線経由)
04 団 体 |04 団 体 |24 高 塚 |44 |64静 岡(御殿場線経由)
05 普 通 |05 快 速 |25 新 居 町 |45 富 士 宮 |65国府津(御殿場線経由)
06 快 速 |06 快速:沼津 |26 豊 橋 |46 西 富 士 宮 |66熱 海(御殿場線経由)
07 |07 快速:静岡 |27 西 小 坂 井 |47 芝 川 |67三 島(御殿場線経由)
08 |08 快速:浜松 |28 岡 崎 |48 身 延 |68沼 津(御殿場線経由)
09 |09 |29 |49 下 部 温 泉 |69富 士(御殿場線経由)
10 通勤快速|10 |30 |50 鰍 沢 口 |70
11 熱 海 |11 熱 海 |31 国 府 津 |51 市 川 大 門 |
12 三 島 |12 函 南 |32 下 曽 我 |52 南 甲 府 |
13 沼 津 |13 三 島 |33 上 大 井 |53 甲 府 |
14 富 士 |14 沼 津 |34 松 田 |54 内 船 |
15 興 津 |15 東田子の浦 |35 山 北 |55 |
16 静 岡 |16 富 士 |36 駿 河 小 山 |56 |
17 島 田 |17 興 津 |37 御 殿 場 |57 |
18 菊 川 |18 静 岡 |38 裾 野 |58 |
19 浜 松 |19 用 宗 |39 |59 |
20 豊 橋 |20 島 田 |40 愛 野 |60 |
にゆうていさんの投稿[ML-1826]です。
313系同様の変更ですがワンマン関係はありません。
調査車両:クモハ211-5614[静シス SS8](1999/07/18)
クハ210-5052[静シス G4](1999/07/18)
クモハ211-5615[静シス SS9](1999/03/14)
**前面 |**側面
01 回 送 |01 回 送 |26 豊 橋 |51 市川大門
02 試運転 |02 試運転 |27 西小坂井 |52 南甲府
03 臨 時 |03 臨 時 |28 岡 崎 |53 甲 府
04 団 体 |04 団 体 |29 |54 富士宮〜富 士
05 普 通 |05 快 速 |30 |55西富士宮〜富 士
06 |06 急 行 |31 国府津 |56 芝 川〜富 士
07 熱 海 |07 普 通 |32 下曽我 |57 甲 府〜南甲府
08 三 島 |08 |33 上大井 |58
09 沼 津 |09 |34 松 田 |59
10 富 士 |10 |35 山 北 |60
11 興 津 |11 熱 海 |36 駿河小山 |61豊 橋(御殿場線経由)
12 静 岡 |12 函 南 |37 御殿場 |62浜 松(御殿場線経由)
13 島 田 |13 三 島 |38 裾 野 |63島 田(御殿場線経由)
14 菊 川 |14 沼 津 |39沼津−御殿場|64静 岡(御殿場線経由)
15 浜 松 |15東田子の浦|40沼津−国府津|65国府津(御殿場線経由)
16 豊 橋 |16 富 士 |41松田−国府津|66
17 国府津 |17 興 津 |42 小田原 |67
18 山 北 |18 静 岡 |43 |68
19 御殿場 |19 用 宗 |44 |69
20 西富士宮|20 島 田 |45 富士宮 |70
-- |21 菊 川 |46 西富士宮 |
-- |22 掛 川 |47 芝 川 |
-- |23 浜 松 |48 身 延 |
-- |24 高 塚 |49 下部温泉 |
-- |25 新居町 |50 鰍沢口 |
※61〜65の経由表記は下に付記する一般的なパターンです
※表中のハイフンは両矢印表記です。
※?は調査の際に見えにくく正確な確認が取れなかった所です。
仲田輝忠さんの投稿[ML-420]、長野光芳さんの投稿[ML-591]です。
編成記号のもととなる“するがシャトル”ようとして投入された3両編成ですが、
313系投入が影響しているのでしょうか、完全に交換され、
ついに“するがシャトル”が消滅しました。
そして突如登場したなぞの行先群。函南,東田子の浦,焼津なんて登場してまして、
特に東田子の浦は本当に意味不明。
また、突如として登場した御殿場線経由の幕ですが、国府津行きはわかるのですが
下りについては少々意味不明。なにせ国府津駅での表示以外に使う価値はほとんどないでしょうし。